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清水 菁花
京都生まれ。書家。NHKラジオリポーターや講演会などでも活躍。きもの愛好家代表、日本ペンクラブ会員など肩書き多数。現在、東京・赤坂の京都館で書道の指導を通じて京都の文化も伝える。 |
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| 菁花のおやかまっさん |
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| Vol 8. 五十而知天命 |
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| 知命(ちめい) |
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論語「五十にして天命を知る」から五十歳の異称として使われる。墨は茶墨。 |
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五十而知 四十九年非。
人間五十年。
中国や日本でも昔からこの五十という数字をなぜか重んじてきた。なぜだろうと改めて考えると、これまた難しく、悩み続けた。でも少しずつ謎が解けてきた。
前者は人生わずか五十年、即ち寿命が五十年もあれば十分な時代。そのゴール寸前にふと振り返り、過去の非(悪いことばかりではなく、よかれと考えたことでも結果として非に転じた悪運など)に対して後悔ではなく、反省であり、次の五十一年への一歩を考える、という意味に解釈したい。
後者は日本人ならだれもが知る「信長公記」の一節、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」。
桶狭間に出陣するにあたり、幸若舞の「敦盛」を自ら謡い舞ったことはあまりにも有名だ。平家物語の一節の「敦盛」に幸若舞が取り入れられた室町時代に、平均寿命が五十歳という考え方があったのか。そして信長が目指したのは「天下」なのに「下天」とはこれいかに。
実はこれは仏教の基礎的な教学書「倶舎論」に出てくる「人間五十年、下天一昼夜・・・」である。この説によると「天界」には多数の「天(神)」が住む。人間が住むのは「下界」または「天下(てんげ)」であって「下天」とは下級の天。具体的にはそこに住む「四天王」。彼らの寿命は五百歳。すなわち人間界の五十年が四天王の一昼夜にしか相当しないのである。だから長い年月のように感じられる人間界の五十年なんて四天王にとっては夢のまぼろしの如く、一瞬のことにすぎない、と謡っている。
しかしこの平成の時代、寿命が百歳近くになった。この時期に現存する私にはいろいろな解釈方がある。私の五十歳の誕生日は忘れもしない、父が一命の危機を脱した手術日だった。同時に私は仕事上、大切な会合があり、心ここにあらずだったことを覚えている。そして心身ともに苦しい日々が続くなか、自分自身も「がん」になり、三途の川を戻ってきた。
「人間の寿命は五十年・・・」という考え方はまったくない。それどころか、四天王界の一瞬は済んだが人間界の次の一歩(一年)を今から踏み出すのが両者の歌の真意ではなかろうか。これからの一年が人生のなかで自分の非を知ることにより、人間界の残りの一瞬を四天王界の五百歳以上の充実したものにしたい。
私は次の五十年を歩むべく、京都から踏み出す小幅の一歩が、大きな一歩となって広い世界へ飛び立てるよう、明日に向かって努力、精進したいと、日々強まる夏の日差しのなかで思っている。
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